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2003

飯豊山(2105m) 

Sunday 20 July 2003/雨
新津市(5:00) (7:10)川入・御沢駐車場(7:30) (9:30)三国小屋 (10:30)切合 (12:10)飯豊山(12:30) (13:50)切合小屋 (14:50)三国小屋 (16:50)御沢 (17:10)いいでの湯(17:30) (19:30)新津市

6年ぶりに川入から登る  
飯豊山の花を見に行く。梅雨にもかかわらず、飯豊連峰の花を見るため、大勢の人が飯豊山を目指す。 折角の連休の1日くらい、飯豊連峰の登山にさけたらいいなと考えていた。 しかし、梅雨空の天気は、連休最終日まで続きそうであった。 山頂からの眺望を期待するのは無理のようだった。 少しばかり雨が止みそうな気配なので、早朝の天気がよければ、久しぶりに 川入口から登ることに決める。 前夜、ホームページのリニューアル作業が続き、早朝の起床ができなかった。 5時に出発する。 49号線は、磐越道の開通後、交通量が少なくなっているのではないか。 順調に車をはしらせることができた。 西会津町に入って、49号線からそれて山都町に向かう。 川入への道は、細く運転に注意を要する。 前を走るマイクロバスは、静岡NOであったが、狭い道を慎重に進む。 この車は、川入の集落までしか入れない。そこから先、民宿のミニバンがお客を転送していた。 登山口の御沢には、大勢の登山者が到着した。 グループの後に出発すると厄介なことになりそうだったので、急いで支度をととのえ出発する。 駐車場に、ざっと数えて30台の車がとまっていた。 日帰りの装備は簡単で軽い。 水が2リットル、ペットボトルのお茶0.5リットル、デジカメ、おにぎりとパン、雨具上下 が主な内容である。 御沢から尾根に取り付く。急登が続く。下十五里、中十五里、上十五里、笹平、横峰と順調に高度を稼ぐ。 横峰を過ぎること、雨脚が強くなり、雨具上下を着ける。 しかし、雨は、やがて小ぶりになり、剣ケ峰の手前でザックにしまいこむ。 横峰から地蔵山を経由しないで剣ケ峰に行く地蔵水場道を通る。 この水は冷たくおいしい。また、豊富である。 飲むと生き返るようだ。水筒の水を入れ替える。水は1リットルで十分であると判断し、もってきた1リットルを捨てる。 このコースの最大の難所は、剣ケ峰である。鎖場もある。慎重にとがった岩場を登る。 どの登山者も剣ケ峰のおかげで飯豊連峰の印象を悪くしているようである。 七森付近に表土が流失したところがある。今は、剣ケ峰に似た場所になっている。 ヒメサユリ、ニッコウキスゲは、三国小屋を過ぎると登山道の両脇に、たくさん見かけるようになる。 種蒔山を過ぎるころ、登山道の下方にたくさんの雪渓をみるようになる。 切合小屋付近の雪渓は、尾根道付近まで残っている。 切合小屋の周囲にたくさんの登山者が休憩し、食事を取っている。 登山者の話では、前夜、本山小屋は、相当混雑し、御西小屋は、少なかったとのこと。 切合小屋は、いつも混んでいる。 テントは数張あった。 草履塚まで、雪渓の上を歩く。しかし、登山者が多いのでトレースをあるけば、アイゼンは不要である。 雲が多く、飯豊山も大日岳も見えない。 姥権現まで、一旦くだり、御秘所を登る。 ここも難所で鎖場である。 最後の急登となる御前坂を登る。 やがて、飯豊山の本山小屋に到着する。 そのまま、先へ進むと、飯豊山(本山)に到着する。 途中、たくさんの花をみることができる。 飯豊山頂には、多くの登山者がいた。 雲が流れて素晴らしい眺望が得られるのを期待して待機している人や、 食事をとっている人がいる。 しかし、しばらくまったが一向に雲が去ることはなかった。

ヒメサユリなどいろいろな花が咲く。  
三国小屋を過ぎるころ、登山道の両側にヒメサユリやニッコウキスゲを見るようになる。 しかし、種類が多様になるのは、切合小屋から本山までの間である。 名前がわからないが、そのいくつかを写真で見てほしい。

写真/ PHOTO 2003

梅雨のなか大勢がくるのは、これらの花を見るためである。 前夜、山小屋どまりの登山者から聞いた話であるが、昨日はずっと雨だったのだが、15時以降 雲が切れ、素晴らしい眺望を満喫できたそうだ。 泊り客には、ありがたい余禄があったようだ。 本山で頼まれて何度かシャッターを押したが、随分とデジカメが多くなったものである。

梅雨期だが、たくさんの登山者がやってきた。  
この時期の登山の目的は、花を楽しむことである。 年代別に分類すると、半分以上が50代を超えている。 この人たちは、早朝に登って、切合小屋に泊まると言っていた。 グループ登山者は、年配者に多いようだ。 単独行は、前述の年代層より若いようだ。 昔は、登山者の中心は、学生だったようだが、今は、影が薄い存在である。 夏山シーズンとなると、関東からの登山者が多くなる。