2006
飯豊連峰/地蔵山(1485m)
Friday 5 May 2006/曇り
新津(4:30) (6:10)御沢キャンプ場駐車場 (6:20)登山口 (8:10)地蔵山(8:20) (9:30)駐車場(9:45) (10:15)いいでのゆ(10:30) (12:30)新津
雪庇の上を歩く
5連休の3日目となる5日も雨は降らないことから飯豊山が眺められる山にいくことにした。地蔵山を選んだ。春山としては95年以来の11年ぶりとなる。今までは飯豊山に行くための経由地の山であったが、今回は目標の山となった。もし飯豊山が目標となると地蔵山から三国岳への途中にある剣ケ峰がこのコースの最大の難所となる。この時期、剣ケ峰を超える登山計画を立てる場合、それ相応のテンションを高めて臨まないと剣ケ峰でリタイヤを強いられることになる。逆に、今回のように剣ケ峰を超える必要がないとなると地蔵山への足どりは軽く、飯豊連峰の山へ向かっているとは思えない愉快な気分になるから不思議というしかない。川入集落から地蔵山までの尾根は長坂尾根と呼ばれる。残雪期は尾根の東側に張り出した雪庇の上を歩いて登る。広葉樹の大木が尾根の雪庇の上に回廊のように立ち並んでいる。残雪期特有の光景で地蔵山まで続き雪庇はとても長い。まったく夏山とは異なる風景が楽しめる。葉が落ちた木々の間から、時々三国岳が見える。三国岳(1644m)は地蔵山から一旦鞍部に下りて、そこから一気に200mほど上ったところにある。そのため地蔵山の山頂からみても、三国岳は仰ぎ見る位置にある。アイゼン持参したが不要であった。またワカンも不要である。ザラメ上の雪の上を、こつこつと登るだけである。一息いれるために立ち止まって振り返ると磐梯山が特徴ある姿をあらわしていた。
11年前を思い出す
当時、飯豊山を目標に登り始めたが、剣ケ峰の状況が悪くてリタイヤした。前日午後に登り、晴れの天気を確信して地蔵山の手前の横峰でテント泊した。しかし、翌早朝いざ剣ケ峰のふもとまで足を延ばしたが、雪面に亀裂がたくさんあり、とても登る自信がなくなった。早々にリタイヤを決意せざるを得なかった。リタイヤは挫折感に似ている。しかし、この雪庇上を重い荷物を背負って登った記憶は、今はいい印象となって残っている。
飯豊山を眺める
地蔵山の山頂からは、飯豊山が良く見える。やはり、いずれ残雪期に山小屋泊まりで挑戦したい山である。残雪期の5月連休に過去2回本山小屋に泊まっている。いずれも晴れが2日ともたず丸1日停滞をした。何もしないで寝袋に入って1日過ごすということがどういうことか十分に味わった。2回目には、ウォークマンを持参して聞いていた。飯豊山は間近に見えるが、本山までいくにはかなりハードな行程が待っている。最難関は剣ケ峰である。13年前に詳述した。七森付近に高い雪庇ができ、ほとんど垂直の壁を登った記憶がある。また、種蒔山までは長い距離を尾根の横をトラバースして登る。アイゼンがないと足がすくむことになる。草履塚も御秘所側は急斜面を下ることになる。まるで谷に落ちていくような感じである。これらの難所は晴れのときの話である。天候が急変してホワイトアウトとなると、まったく方向がわからなくなる。特に草履塚の切合小屋側は広大な大雪渓となるからだ。また、種蒔山は、お椀を伏せた形なので、方向を完全に見失ってしまう場所である。私は先行者の赤い布をつけた標識で下山できたこともある。
長い道中いろいろなことを考えた
家にいるとこんなことをいろいろ考えやしない。登っている途中、夢想か白昼夢かわからないが、とんでもないことを考える。きっと脈拍数が増し、脳の奥の普段は行き届かない部分まで新鮮な血液が行くのだろうか。若者のことを考えた。若者が疲弊してるように思える。山に来る人は、その大半が年配者だ。たくさんの若いひとに直接聞いたわけではないが、土日などの休日には、なにもしたくないというのが本音だろう。現代の若者の仕事の質は、私らの若いころの比ではない。正確性と速度をもとめられている。さらに、OA化で知識も半端ではない。技術革新に着いていくことを強制されている。若者の年金未払が4割近くいるそうだが、理由が明快である。金がない。年金をもらえるまで長生きすると思えない。日本固有の現象なのであろうか。イタリア、フランス、英国も同じとは、とうてい思えない。子供たちの将来を考えると、何とかならないかと考えはするが、私に妙案はない。
反対に、自分の老後を思い描く。70才まで生きたら上等か。山登りは65才まで可能か。昔ファミリーキャンプで使ったロッジ型テントを車に積んで、金のかからない各地のキャンプ場を渡って、観光、読書三昧、たまには、その地の珍味を食すことができるだろうか。体力維持のため、ときどき山登りもしなくてはならないだろう。問題は収入が少なくなるので、貯金をとりくずしてどこまで生活できるかである。物価が上がらないのはうれしいが、経費支出がなくなるわけではない。支出は生きている限り続くのである。金利ゼロでは手の施しようもない。などととりとめもなく考えるのであるが、いずれも日本人共通の課題であろう。