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2008

2008年への期待 



 春、夏、秋に山で一泊したいものだ  
日帰り山行では十分感動が得られないようだ。日帰りは確かに装備が軽く、往復の距離を延ばせるので、無理をすれば日帰りでピークハントは可能である。しかし、新緑や花や紅葉を見たときの感動が昔の記憶ほどでないような気がする。春、尾根にまだ雪が残っていても木々の枝は新緑に覆われる時期がある。また、梅雨明けが近くなる頃、稜線は百花繚乱となる。秋は朝晩急に冷え込む頃に紅葉が一段と輝きを増す。そんな時期に一泊で山に行けたら、きっと頭の中はリセットされるに違いない。山を降りてくるときの顔つきが変わると思う。ほとんど仙人に近い気分になれるのではないか。今年こそ計画倒れにならないように日程を調整し段取りをして山で泊まろう。

 山に登り始めたころのあの感動をもう一度呼び戻そう  
老いるということが、感受性を鈍くするとは思えない。忙しさで、頭の切り替えをせざるを得ないことが多いのは事実だ。深く考える暇さえないこともある。だが、映画をみたり、音楽を聴いたりすれば、以前と同様に心を動かされる。山に行く前夜、気持ちが高ぶって眠れない日があったのは本当のことであるし、やっと山頂にたどり着いたときの達成感や満足感は確かにあったものである。職場にいるのと同じに時間に追われるような山行では、以前のような感動は得られないのかもしれない。あの頃は、深夜、車を走らせることはちっとも苦にならなかった。背負うのもやっとだったザックを担いで登りきったのは、けっして記憶違いではなく事実である。事情があって日帰り山行しか選択肢がなかったのはしかたがないが、そろそろ、山行の仕方を見直す時期が来たのかもしれない。深夜の月山の山小屋からみた、日本海の漁火は、忘れることができない。佐渡が島の背後に沈みかけた夕日がすっかり消えるまで見ていると不思議な気分になったものだ。原色の鮮やかな高山植物の花々をみつけて足をとめたのは、それほど昔のことではない。忘れかけそうなあのときの感動をもう一度呼び戻す必要がある。