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2010

五頭山/912m 



Sunday 10 October 2010/曇り
新津(7:30) (8:10)どんぐりの森駐車場 (9:20)三の峰 (10:10)どんぐりの森 (11:00)新津

 雨に降られずにすむ  
雨具を用意したが、使わずに済ますことができた。 山全体が、色づき始めている。 長袖シャツを着たが、暑すぎた。 横断五頭山のイベントがあった。50人ほどの団体が、どんぐりの森から五頭山を超えて阿賀町の中ノ沢森林公園をめざして登っていた。 バスで下山口から、どんぐりの森まで戻ってくれるので、参加者は多いのではないか。 よい企画だと思う。

 ヨーロッパ中世史を読んでいる  
中世は暗黒といわれ、あまり興味がないが、ヨーロッパ中世史を流して読んでいる。 しかし、発見があって楽しい。

 ヨーロッパ大陸の農村は中世に形成された  
中世農業革命により農村が形成され、現代まで引き継がれている。 中世以前、農家は麦作をするために、毎年、耕地を変え移動した。 日本人には奇異に聞こえる。 日本では、米作中心に農業が行われている。 水田は、水が流れることから、栄養分が補給される。 その結果、毎年、連作が可能で収量が落ちない。 ところが、ヨーロッパ大陸の麦作は、肥料が与えられなければ、地力が衰えて連作できない。 無理に連作すると、収量が前年の半分になる。 したがって、毎年、耕地を変更して麦作をすることになる。 11世紀、人口増に対応して、生産増をはかるため三圃制農法が普及した。 連作しても収量がそれほど落ちない違う種類の麦を連作して、1年休耕する。 具体的には、次のとおり。
1.春蒔き麦(大麦、燕麦)を作付けし、夏に収穫する。
2.秋蒔き麦(小麦、ライ麦)を作付し、翌春に収穫する。
3.1年間休耕し、放牧地として利用する。
効率的に三圃制農法を実施するには、個々の農家が集合して、農地を交換・分合しなければならない。 個人の意思に無関係に、畑作・休耕が決められる。 牛馬による6−8頭立て重量犂を操作するのは、難しい。 そのため、細長い長方形をした耕地が要求された。 休耕地にあたると、自分の所有地に他人の牛が放牧されることになる。 飢餓から逃れ、さらに収量増をはかるには、農村を形成して効率的に畑作経営をせざるを得なかったのである。 農村の数は、現代まで大きく減少していない。 ただし、英国は例外である。英国は、近代化のなかで麦作をやめた農家が多く、農村は減少した。 中世が現代にそのままつながっているものがある。