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1992

弥平四郎口から飯豊本山小屋  2102m 


Sat.May 2.1992/ 曇り
新津(4:30) (6:30)弥平四郎登山口(7:30) (11:00)松平峠 (13:00)疣岩山(13:30) (15:30)三国小屋 (16:30)切合小屋(泊)
Sun.May 3.1992/吹雪
切合小屋(9:30) (10:30)飯豊本山小屋(泊)
Mon.May 4.1992/吹雪
飯豊本山小屋(6:00) (7:10)切合小屋(7:30) (8:30)三国小屋(9:10) (10:10)松平峠(10:20) (11:20)弥平四郎 (15:00)新津

(弥平四郎地区のゲートから登山口まで)
 ゲート近くの民家から、ゲートの鍵を借りれば登山口まで車で入ることができる。歩くより1時間ほど時間短縮できる。地区の人は皆、鍵を持っているとのこと。登山口を少し過ぎた所に数台、駐車できるスペースがある。
(登山口から松平峠まで)
 登山口を入ると、道は下りとなる。沢を渡り対岸に道が移る。当時、沢は1本の丸太を渡してあった。この時期、融雪で増水するのでわずか1m余の距離を重い荷物を背負って両手を広げ平衡を保って渡らねばならない。走ってジャンプすることも考えたが、荷物が重すぎて飛べない。祓川山荘(山小屋)を過ぎてから積雪が増してくる。小さな沢がたくさんある。雪の斜面をいくつもトラバースしなければならない。小さな雪崩の跡も多い。沢は、谷底まで遮るものがない所も随所にある。夏に1度下りで通った道である。しかし、今回、踏み跡がないので、沢を越えた道が分からない所もある。道を間違え藪こぎもしている。4本爪アイゼンは、雪がだんご状態で付着しかえって危険となり、これをはずす。(教訓。12本爪アイゼンでないと実用に供せない。)ピッケルは、雪道には必需品である。これがないと、トラバースや急な登りができない。皮の重登山靴でステップを刻みながらの登りとなる。春の飯豊は、今回が初めてであった。あまりの危険の多さにリタイアを考えはじめたら、下からグループ登山者の声が聞こえるので、先に進むことにした。所要時間は、コースタイムより1時間多い3時間半である。
(松平峠から疣岩山まで)
 松平峠から見た感じでは、疣岩山への道は、垂直の登りである。目指す尾根の上は、今にも落ちそうな雪庇となっている。尾根にたどり着いたところが疣岩山の直下で、正面に大日岳が勇姿を現す。青空となり、遅い昼食をとる。残雪期に、サングラスは必携である。
(疣岩山から三国小屋を経て切合小屋まで)
 昼食をとっているうちに天気が悪くなる。疣岩山は、登らないで巻く。急な斜面ばかりをトラバースしなければならないが、回り道になっても比較的安全と思われる道を選ばざるをえない。後で三国小屋を過ぎたところから見ると、この疣岩山は、深い谷まで一直線の急斜面になっている。疣岩山さえ越えれば三国小屋までは、道は安全でわかりやすい。三国小屋から切合小屋までは、この年、踏み跡があって難なく登れた。ただし、吹雪けば、種蒔山から切合小屋への道は直角に右折するような方向になるため、とても危険である。予定どおりここで泊まる。小屋への入り口は2階の窓となっている。登山者は、6人であった。他人と比較し、装備の貧弱さに驚いた。まず、プラスチックブーツが多い。また、ダウンシュラフ、エアーマットを持っている人が多い。持っているピッケルが立派である。さらに、ラジオを聞いて天気図がかける人がいたのでびっくりした。
(切合小屋から飯豊本山小屋)
 草履塚まで緩い登りが続く。スキーゲレンデのようだ。草履塚から下りとなり鞍部が御秘所である。風がいつも強いのか、鎖の着いた岩場は、雪がない。以後、本山小屋まで岩の多い急登であるが、風が強いせいか、雪は少ない。小屋で休憩後、一旦、他のパーティー2人と計3人で下山しかけたが、強い吹雪で、息もできないほどとなり、小屋へ戻る。20人近くが停滞する。泊まりとなる。多くの事柄で、初めての経験をする。小屋の2階の窓より高く雪が積もる。小屋に入るには、滑り降りることになる。強い風で雪が吹き溜まりとなるためのようだ。小屋の反対側は、直接風が当たり、逆に雪が着かず、地面が露出している。強い風が吹くと、今にも小屋が吹き飛びそうな、風のうなり声がする。排泄のたびに小屋の外にでるのは、大いなる苦痛である。細心の注意が必要である。お粗末なシュラフのため寒くて眠れない。靴下の替え、レインウエア、帽子をつけても心臓から遠い足の方が冷たい。分厚い靴下の上から足をマッサージする。体を動かせば少しは暖かくなるだろうと思ったからである。身動きできずシュラフの中に、なにもしないでジッとしている。よくないことばかり考える。明日、下山できないと困るなとか、凍死するときは、こんなふうに足から冷たくなるのかなとかを考えたりする。小屋に1人だったら、パニックに陥ったかもしれない。しかし、私は引き返したが、吹雪の中を縦走を続けるために出発する人、下から上がってくる人が何人かいた。また、縦走して石転び沢をスキーで下るパーティーやクサイグラ尾根を登って烏帽子岳から本山小屋へ来た人もいた。キャリアの違いをまざまざと見せつけられる思いであった。
(下山)
 翌朝、下山するパーティーもあったことから、昨日下山を試みて戻った3人で、再度、下山を開始した。途中あまりにも激しい吹雪で、岩陰に10分ほど避難した。頬が無感覚になるほど強い風であった。私は、下山後、眼出し帽を購入している。こんな強い風で御秘所を通り抜けられるか心配したが、200mほど下っただけで風の強さがかなり弱まっていて、心配なく通れた。
 疣岩山で、雷に遭遇した。光と音が同時なのである。他の人がピッケルを投げて伏せるので、同じことをした。尾根上を歩くのが怖くなり、5mほど下を尾根伝いに歩く。しかし、いつまでいっても登ってきたと思われる所に出てこない。落雷の恐怖はあるが、尾根上に上がってみて愕然とする。全然違う支尾根に迷い込んでいたのである。尾根の上を歩いていれば本来の尾根筋が分かるのであるが、雷をさけ尾根下を歩いていたため気がつかなかったのである。どの位それて降りたのかわからないので、見通しのきく高いところまで登り返すしかない。100mほど登ったところで記憶にある風景が見えてほっとする。正しい尾根に戻り、そこを下る。今度は、松平峠へ下る雪庇の位置が分からない。踏み跡が消えてしまっている。雪庇を踏み抜かないように、垂直の下山道をうかがう。木の位置から見当をつけ、降り口を決める。松平峠へ到着したときは、やっと緊張が解けるような感じであった。コース最後の登山口近くで、沢の上の丸太を渡るとき、荷物は軽くなってるはずなのに足がふらつきドボンと落ちる。事実上の徒渉となった。
 このコースの難所は、松平峠までのトラバースと、そこから疣岩山を越えるまでの登りとトラバースだと考える。


Photo:Dainichidake(2123m) from Iboiwayama 1992/5/2
Photo:Iidesan(2105m) & Kiriawase Hut(right below) from Tanemakiyama 1992/5/2
Photo:Dainichidake(2123m) from Kiriawase Hut 1992/5/2