山行の報告 home


1993

川入口から飯豊本山小屋  2102m 


Sat.May 1.1993/ 晴れ
新津(6:00) (9:00)川入登山口 (14:00)三国小屋 (18:30)飯豊本山小屋(泊)
Sun.May 2.1993/吹雪
本山小屋(9:30) (12:00)三国小屋(泊)
Mon.May 3.1993/くもり
三国小屋(5:30) (8:30)川入 (11:00)新津

 川入から地蔵山まで、夏道より歩きよいと思う。プラスチックブーツにとりつけた12本爪アイゼンは、雪面をよくグリップする。尾根道の登山道は、片側(東面)が雪庇状に張り出している。夏の風景と全く異なり、別の山を登っているようだ。葉がないので、三国岳が途中ところどころから見える。プラブーツが割れて下山する人に地蔵山で会う。せっかくプラブーツを買って、張り切っていたのに、一瞬、不安になる。軽くてアイゼンとの相性がいいのに困ったものである。
 川入コースの最大の難所は三国小屋直下の剣ケ峰である。もともと急登なのであるが、小屋まであとわずかのところで、突然、ナイフの刃をした尾根が現れる。幅が30cmもない。左右の足は、別々の谷につづく斜面を歩くことになる。両側の斜面は、数百m下の谷底まで続いている。長さは5mほどである。心臓の鼓動が聞こえるようだ。来たことを本当に後悔し始める。心を整理し渡る決心がつくまで、ジッとしているしかない。足は、滑らないか。バランスを崩さず重い荷物を背負って歩けるか。ここを渡れば、帰りにもう一度通らねばならない。ピッケルをとがった中央の雪面に深くさして一歩づつ小幅に歩けば、いけそうだと判断する。もし、滑ってもピッケルをはなさなければ、とどまることができそうだ。しばらく休んで、気力の回復を待ち、恐怖を払いのけ、気合いを入れて渡りはじめた。最初の一歩は、足がままなく。右左と、足とピッケルの位置に全神経を集中し、ほかのことを考えないようにして進む。同じペースで止まらないで、一歩一歩と・・・。渡り終えたとき、なるたけその場から遠く、より安全な場所へ行きたい心境で早足となった。こんな危険をおかしてまで来る価値があるのかという気持ちも確かに有ったように思う。
 天候に恵まれ、一気に本山小屋まで登る。雲が全くない快晴である。下山後わかったのであるが、大失敗をしている。一年のうちこの時期、紫外線が一番強い。空と雪面からたっぷり9時間光を浴びて、顔が真っ赤になり、水泡(ヘルペス)までできてしまう。皮膚科の専門医にみてもらい、やっと広がるのを防ぐことができた。ストレス、疲労、紫外線で再発するとか。2週間ほど、はずかしい思いをした。
 前年の教訓から、ダウンのシュラフを用意した。ダウンは、すごい。本山小屋では、他のパーティーは小屋の中に、テントを張っていたが、私は、それなしで熟睡できた。
 翌日、吹雪となったが、今回は旗がところどころにあったので、下山する。切合小屋付近は、真っ白で、雪面と空の区別がつかない。旗がなかったらと思うとゾッとする。風が強く、難所の剣ヶ峰が通れない。三国小屋で一泊する。
 翌日、嘘のように風がやみ、夜が明けると同時に下山する。この時期の剣ヶ峰は、もう2度とこなくてよいと思いながら、慎重に歩を運ぶ。全く肝を冷やす山行であった。
 このコースの難所は、剣ヶ峰であることに誰も異論はないだろう。


Photo:Iidesan(2105m) & Kiriawase Hut(right below) from Tanemakiyama 1993/5/1
Photo:Iidesan(2105m) & Ohisyo 1993/5/1